「コロナ!」と連呼:ゆるい差別の話

ジョギング中にコロナと呼ばれた話

ベルリンで夜中にジョギングをしていたら信号待ちをしていた車に乗っていた人達からコロナと呼ばれたという話。少し経ってから怒りや不快感が湧いてきたのですがそれがどこから来たものなのか、今後どう対処すべきなのか、仮に彼らに仕返しをするとしたらどうするか等々走りながら考えたことについて書こうかなと。

夜中のジョギング中の話

今年の始めに痛めた膝が回復したので最近は2日に1回のペースで夜に14km程走っています。ここ数週間は家を出る時間が遅れがちになっているのですが先日も例に漏れず家を25時頃に出て走り始めました。

家から2km程走った辺りで向かいから走って来た車が信号に引っかかり止まりました。

他の車がいなかったのでそのまま走り続けてその車の横を通り過ぎようとすると車内の人達がこちらを見て何か言っています。

どうやら「コロナ!コロナ!」と言っているように聞こえました。

こちらを見て何度も連呼していたので肩をすくめるような動きをして通り過ぎました。

数秒後、ナンバープレートの写真でも撮っておこうと思い引き返したのですがちょうど信号が変わり車は走り出してしまいました。

少し先に信号があったのでまた止まるかなと思い車を追いかけたのですが引き離されてしまい写真を撮るには至りませんでした。

まあいいかと思いジョギングを再開。

その後湧いた怒りと不快感について

その後走っていると怒りと不快感が湧いてきました。

怒りに任せてさっきの車をバールのようなもので破壊したり彼らが酷い目に遭うことを一通り想像した後、その怒りや不快感は何なんだろうと考えました。

簡単に言うと「差別的用語を言われた」とか「差別的文脈で扱われた」ということなのでしょうがこのケースにおける不快感の原因とは:

  • 見た目だけで判断されレッテルを貼られたこと
  • 彼らの冗談に不必要に巻き込まれたこと

辺りなのかなと。

今流行りのウィルスがアジア発と言われているのでアジア人を見ると連想してしまうのは百歩譲ってしょうがないとして、25時に人を避けて走ってる人に対してわざわざ車の中からそのレッテルを押し付ける必要があるのかと。

黙ってその場から走り去るという選択肢があるというのになぜわざわざ赤の他人を巻き込むのかと。

対処法について

想像の中ではバールのようなもので彼らの車を破壊して不快感をお返しすることに成功しましたが、現実世界ではただただ肩をすくめた後に車を少し追いかけただけだったので今後どうすればいいのか走りながら考えました。

彼らからしたら条件反射的な言動だったのかもしれませんが、そんな言動をすることでデメリットが生じる可能性があるということを認識すれば今後このようなことをしなくなるのではないか、と考えました。

「そうだ、石を投げよう」走りながら考えました。する必要もない馬鹿な発言を他人にしたことで車に傷が付けば彼らも少しは学ぶはずだと。

スイスの国防の考え方に「侵略は不可能ではないが、コストやリスクに見合ったメリットが生じないようにする」というものがあるようですが、それに近いものです。

よく走る大通り沿いは、少し外れて細い道に入れば明かりは少なく、車が通れないような道もあるので逃げ道の確保もできるはず。頻繁に走っている自分であれば車が使えない相手から逃げることなど簡単なはず。

「投げやすくて尖った部分もある石があったら拾っておこう」「尖った石を拾って投げやすいように家で削ろう」等々ランナーズハイになりながら考えました。

冷静に考えると

ジョギング中の自分の思考には振れ幅があり、家までもう少しというところで冷静な方向に振れ出します。

「石を投げたところで自分のメッセージは伝わるのだろうか」

「夜中にジョギングしている人は石を投げてくる、という変なレッテルを新たに生み出すことにはならないか」

「うわ、大通り沿いの建物には防犯カメラの様なものが意外と付いている」

等々。

石を投げるのは良策ではなさそうだと結論付けて家に到着。

国が違えばジョギングしてただけの異人種を撃ち殺してしまう親子なんてのもいるのでそれと比べればだいぶゆるい話。

翌日、近所のスーパーに行く途中に走っている車を見るとボディの凹んだ車が多いことに気付きました。

意識して見てみると傷だらけの車の多いこと多いこと。

こんな状態ではやっぱり石なんか投げたところで意味はない。